『ぽっかぽか』と同じ??

_126 これが私の愛読書 『ぽっかぽか』 です^^

見ての通り漫画ですが、読んだ方は知っていると思うけど、タイトルの通り読んでいるとすごく心が温かくなるお話です♪

本当に普通の夫婦とその愛娘の日常を書いた話なんだけど、その中にたくさんの愛があって理想の家族なんですよね。

例えば旦那さん(慶彦)が 「会社が倒産した」って言うの。(奥さんを試しているんだけどね)

そうしたら奥さんの麻美が

「角のスーパーの時給1ヶ月で10万ちょっと2人でやれば何とかなるんじゃない」

って言うんだよね~。旦那さんもうこんな事言われたらキュン♪ってしちゃうよね~^^

ここまでは”良妻”って感じだよね。(良妻=私って話じゃないんだけどね^^;)

ちなみに家の旦那の会社もある朝行ったら、紙が貼ってあって〈倒産〉だったんだけど、そんな事言えなかったな~(^^;)

ただ、そんな良妻ばかりって訳ではなくて 結構ぐーたらでいい加減な所もたくさんあるんだよね。

その麻美が昔アイドルになりたかったからって、生きがいを見つけるのにシンガーソングライターを目指すの!!

でもそこで気づくんだよね。お洒落な歌は出来ないけど、日常の事や娘の事をふっと歌っている事に^^

例えば ♪お~ふろおふろ ぽかぽかのおしり♪とか

こ~えんでおひるねたのしいな~ 草の上でグーグーグー
 ブランコゆらゆらグーグーグー

とかたくさんあるっていうか、漫画の至る所に色んな歌のフレーズが出てくるの。

私は読んだ時に(ハハハ 確かにこんなお母さんだったら、楽しいけどありえんな~ )

なんて思っていたんだけどね。少し前に気づいたんですよね~(・・;)

例えばウチの姉ちゃんが帰ってきて

「お母さん 夕飯何?」って聞かれて…

「♪きょ~うの ごはんは ぶたじる! ぶたじる~♫ 」とか

「お風呂入って良い~?」

「♪今夜はゆずがはいっているから 良いにおい~~♫ 」とか……

私はごく普通に答えているつもりだったんだけど、次女とかにも言われてね…

「なんでお母さんていつも歌ってるの?おかしくない?」

・・・そうだよね。そう言えば私って節をつけて話すほうが多いよね~

それってもしかしたら 

ぽっかぽかと同じってこと~~??(@@;)

なんかありえないって思っていたのに、ちょっとショックでした(^^;)

でも、気分が良いと出ちゃうんだよね~♬ 節つきで!

みなさんひかないでね~~(^0^;)

私はどっちかと言うと音痴で、カラオケも嫌い…人前でなんか歌わない!

だって昔の苦い思い出があるんだけど、短大の時に大学と合同のポプコンみたいな自作自演のサークルに入っていて、

女の子3人で組んで私はキーボードを担当だったんだけど、その中の1人の子が作ったのを同じ旋律で歌う事になって…

歌ったら作った子が言うんだよね…

「マヤちゃん 同じ音程をうたっているはずなんだけど、いつもマヤちゃんだけハモッテいるよ!」ってさ。

それでとうとうキーボードだけになったんだ~(T T)グスッ

その時に私は音痴ってわかったんだよね~ 

それから歌うって言うのは、子供に子守唄とか車の中で歌うとかくらいだったんだけど

きょうは お天気ランランラン おふとんふわふわ気持ち良い~

なんて普通に一人でも歌っているし、まあ誰にも迷惑かけないし良いか~って思うようになっちゃったわ(^^;)

でも今日、台所でつい歌っちゃったときに長男

「やっぱりお母さんてさ、おかしいと思う?」

って聞いたんだよね~ そうしたら

「ハハハ もう慣れたわ。」

と言われてしまった(><)

本当はおかしいと思っているんだけど、これでも自分の母だって思ってあきらめているって感じだよね~ 

それって我慢してくれているって事なんだよな~^^

そう言えばそう言えば…なんかウチの母もいっつも歌ってたな~

思い出してきた!! 遺伝?!

それを私達冷ややかな目で見てた時もあったよな~(笑)

でも、ま いいか♪

ぽっかぽかの麻美のようにぐーたらでも、あかるく楽しく生きられたら良いかな?^^

ただ、私の歌はいつでも歌ってって言われても出てこないんだよね~

その時の気分と状況でふ~~っと出てくるから、あれが聞きたいって言われても無理なんだわ♡

だからリクエストにはお答えできないからね~(^^)v
私の歌が上手になりますように!ってポチッとしてね~
宜しく♡

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≪ 365日のおかず百科 ≫

私は、結婚する前全く料理ができませんでした(^^;)

なんたって、お嫁に行くのが決まって母から教えてもらったのが

お米の研ぎ方と餃子の作り方!

”餃子は普通におかずにもなるし、お客さんが来ても出せるから”

と言う理由です。

でも、突然26歳にして親元を離れ遠い地で一人で ご飯を作らなくちゃなりません。

なんでもっと料理を勉強しておかなかったんだろう…とメっチャ悔やみました(・・;)

それで何が役に立ったかって?

それは、これ!
       ↓

_075

結婚退職するときに会社の人達に結婚退職祝いに

いただいた物。

使用年月18年と7ヶ月!!

これにどれだけお世話になったか、どれだけ助けられたか。

(はっきり言ってメッチャ汚いので、この大きさで見てくださいね^^;)_076

知っている方もいると思うけど、こうやって日にちごとに

毎日のメニューが、季節の材料を使うものや 行事ごとなんかも載っているし、

ほぼ毎日これを見て夕飯を作っていました。

今日は、○月○日だから…ってそこのページを開いて

そのメニューを見て、材料を書き写してスーパーに買い物に行くという生活をしていました。

だから、夕方4時くらいから夕飯の料理をしだして 8時頃には食べられるようになってたかな~?(笑)

今の20分で夕飯、なんて技はこの時に出来るようになるなんて思ってもいなかったですね。

すぐに妊娠して長女が生まれて、お雛様もこどもの日もクリスマスもみんな

この本の3月3日とか12月24日とかを開けて、見て作りました。

今日も次女は学校のコンテストに出す料理を試作していました。

私は、それこそ中学から結婚で会社を辞めるまで 毎日母にお弁当を作ってもらっていました。

どれだけ違うの??って言うくらい全く料理はしない娘でした(^^;)

だからあんまり料理をしない長女でも、当時の私よりは上手に料理するな~と思いますね^^

いつからお料理に興味をもったか?って思うと…

やっぱり離乳食が終わって、普通のご飯を子供達が食べるようになって来た頃から

食べるものは安全なもの、バランス良くて、新鮮なもの を使って作るのに

子供って正直だから、美味しくないとあんまり食べてくれないしね!

それで今の私流に言うと、 ”安くて簡単で美味しいもの” を作る努力をするようになりました^^

なんたって2年に1度は子供も増えていったので、安くてってのがポイント!(笑)

メッチャ量を食べる長女

美味しいものなら貪欲に自分で作るし、食べるのが大好きな次女

今ひとつスポーツをやっているのに食が細い(好きなものは食べるんだけどね)長男

食べ過ぎるので、制限しちゃうくらいこれまた食べるのが大好きな三女

学校から帰ってくると、玄関で

「今日は夕飯何~?」 とか

「今日ってから揚げでしょ? ヤッタ~」

とか何より楽しみに帰ってくると思うと、今日もたいした食材は使えないけど

「うわ~ これ美味しい♪」

って言ってもらえるものを作ろう!!って思っちゃうよね^^

実はいまだにこの本のお世話になることもあります。

親子丼のつゆの分量ってなんだっけ? とか

あのスープって隠し味に何をいれたんだっけ? とか

・・・私のお料理の原点はこの本にあるんだな~って思いますね。

この本はドンドン改正されてますが、今もあるようです。(数年前に本屋さんで見かけたんだけど…)

娘達がお嫁に行く時には、嫁入り道具の中に持たせてあげよう!って思っている物のひとつです。

こんなに汚くなって、ぼろぼろになっちゃったけど捨てられないのです。

そうして、私の料理する姿 成長していく姿を見守ってくれてきて 

私の料理の歴史としてこれからもずっと台所の本棚に並んでいると思います。

今度コンテストに出す料理もご披露しますね♪
試作を食べたけど、美味しかったですよ~~(^^)v

さあ! 明日からも次女に負けないように美味しい料理を作るぞ~!!
また、美味しい料理が出来たら 載せますね~^^ 
良かったらポチッとお願いしま~す☆

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『ちいちゃんのかげおくり』 2

『ちいちゃんのかげおくり』  に続きます。

三女の宿題に、戦争を体験した人に項目にそって聞いてくると言うのがありました。

”1”でも書きましたが、三女の友達の親御さんはまだ若く それこそ三女の学年が1番上の子だと

その親さんの年代では戦争を体験しているおじいちゃん・おばあちゃん

が少ないようでしたが、

4人目にあたるうちの三女の祖父母(私の親)は、戦争の体験者でした。

一緒には住んでいないので、実家にファックスでお願い用紙を送り、項目に沿って書いて送ってもらいました。

戦争を体験してない年代の方たちに、実際体験した それもその当時三女と同年代だった私の父と母の事を

良かったら読んでくださいね^^

私の父は、東京の生まれです。

母は九州で高校まで育ちました。

それで、都会のネズミと田舎のネズミじゃあないけど(笑) 

戦争の時は、東京と九州だったので 書いてもらったレポートも その都会と田舎の違いが出て、とても面白かったです^^

まず父の戦争中の東京の子から見た様子です。

〈戦争の頃の年齢〉

 ・8才(小2)~12才(小6)
  小学校は、戦争中 ”国民学校”と名前が変わっていました。

〈遊び〉

 ・けん玉、めんこ、こま回し、ベーゴマ、竹馬(自分で作る)、缶けり、缶下駄(缶に穴を開けて紐をつけて)、押しくらまんじゅう、トンボ&虫取り、野鳥取り(餅のりのついた棒で)、魚釣り、ザリガニとり(戦時中は食べてました)

〈食べ物〉

 ・芋粥、サツマイモのつる、里芋の茎、野草、麦粥、すいとん、かぼちゃとつる、ジャガイモの皮も何でも食べたよ。 小麦の皮も。

  今じゃ馬も食べない物まで。魚でスケソウダラとか。まだまだ一杯あるけど、今では人間が食べない物まで 食べてました。

  おやつに大豆の煎ったのを5粒とか…

服装〉

 ・頭…坊主がり

  体…着る物が少なくて 「衣料切符」 が配られ、自由に買えなかった。 夏は、今と変わらないが 冬は、充分着るものが買えないので、つぎはぎだらけの衣服でも、みんな着ていました。

  足…主に運動靴と下駄やわらで作ったわらじ(わらぞうり)、革靴は買えませんでした。

〈空襲の時の町や人の様子〉

 ・家にいる時は、すぐに防空壕に入りました。 何時間でも空襲警報が解除されるまで、入ってなくてはなりませんでした。 
  町中で空襲警報が鳴ると近くの防空壕へ急ぎます。 外には警官や兵隊しかいません。
   近くへ爆弾や焼い弾が落ちると、すごい地響きや音がしました。 とても怖かったです。
   町中は車も何も動かなくなり、時間が止まったようです。

ここには、書いてありませんが父達は空襲のひどかった時には 疎開をしたそうです。

親や兄弟と離れて、そこでも地元の子達とかにいじめられたと聞いています。

まだまだ小さい子供達にとって どれだけ精神的にも辛かったか?

尋常じゃない生活を送った時代だったんですね。



次は、母の九州の戦争体験です。

〈戦争の頃の年齢〉

 ・終戦時 10才 (小5)

〈遊び〉

 ・お手玉、ケンパ、虫取り、かくれんぼ など
  でも、いつも弟や妹の子守で遊べませんでした。

〈食べ物〉

 ・私(母)は、田舎だったからお肉以外はあったけど、カボチャとかサツマイモが多かった。
  ご飯は、麦ご飯が多くて 白いご飯はめったになかったよ。
  梅干まで、配給制度でした。

〈服装〉

 ・頭…おかっぱ

  服…シャツブラウスや着物(カスリ)、モンペ(上と下にゴムが入っている)

  足…運動靴やぞうり

  防空頭巾を方からかけて学校へ行ってました。 何にでも、地区名と名前を縫い付けてありました。

  〈空襲の時の町や人の様子〉

 ・自宅の庭に大きな住めるような穴 (防空壕) を掘って、警戒警報~空襲のサイレンがなると逃げていました。
  煮炊き出来るようにしてありました。
  近くに爆弾が落ちた時は、戸が倒れたりして 人も亡くなりました。
  私は、佐賀ですが 長崎の原爆が落ちた時の音と空が目に焼きついて離れません。 防空壕の前から見えました。
  その時の様子は、警戒警報のサイレンが鳴ったので入ろうとしたら、一瞬真っ暗になり、その後で黒い雲が東(家のほうから見て)の方にすごいうなり音 ゴ~~~~と流れていくのを見ました。
  その時は、何だかわからなかったけど 後で原子爆弾だとわかりました。
  大きくなって長崎へ行ったら、石段に人の形の黒い影が残っていました。

母は、8人姉妹兄弟がいます。 みんなの食料として配給のあった”梅干”をもらってくる途中に 転んで落としてしまい 砂のついた”梅干” を拾って、泣きながら砂を払ったそうです。 それを持って帰らないと食べるものが、減ってしまうからだと 聞きました。


よくわからないところもあるかと思いますが、父と母が書いてきたそのままを載せました。

三女の宿題ながら、私も送ってもらったファックスに見入ってしまいました。

三女のクラスでも先生が、資料として使ってくれたようです。

父と母が一生懸命書いてくれたものが、娘の教材として役に立って嬉しかったです^^

こんな生活なんて、テレビの中だけだと思っているけど

もし戦争になったら、芋のつるなんて食べられますか?

今の子達が ゲームがない生活が出来るでしょうか?

この時代よりもっと便利になりすぎている今、きっとこの時代以上に辛いものがあるでしょうね。

三女が 『ちいちゃんのかげおくり』 を読んで、仲良しの Hちゃんと2人で

晴れた日に ”かげおくり”をしたそうです。

「ちゃんと”かげおくり” できたよ~」

と教えてくれました。

いつまでも平和で笑って ”かげおくり” が出来る世の中であって欲しいですね。
未来の平和な世の中にポチッとお願いします!!^^

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『ちいちゃんのかげおくり』 1

『ちいちゃんのかげおくり』 って知っていますか?

今、小3の三女が学校の国語の授業で勉強してるお話です。

*もし、このお話を読んでみたかったら ここをクリックしてくださいね(*^^*)


『火垂るの墓』と同じ戦争のお話ですが、『火垂るの墓』はあまりに悲惨すぎて 1度だけ映画もテレビで見ましたが、思い出すだけで辛くなるので その後見ることが出来ません。

この『ちいちゃんのかげおくり』 長女が小学校の時から教科書に載っていて、

毎日の音読で長女次女長男の読んでいるのを何度聞いても、胸の奥がキュンとなってしまうお話です。

《 (あらすじ)

ちいちゃんの思い出は、出征するお父さんと”かげおくり”をした事でした。

空襲が来て、お母さんとお兄ちゃんと逃げるのですが、お母さんとはぐれてしまいます。

最後に自分の住んでいた家にたどり着いて、お母さんとお兄ちゃんが帰ってくるのを待ちますが、

帰ってくることはなく、ちいちゃんも食べるものがなくて死んでしまいます。》

最近、小学生だか中学生が 北朝鮮の事を話している時に

「戦争をやって ぶっ飛ばせば良いのに!」

と言っているのを聞きました。

この子達は、ゲームをやったりテレビの戦い物を見て育っているんですもの

負けるわけがない!って思っているんでしょうね。

テレビで戦争物をやっていても

「辛気臭い」

と見ないそうですね。

本当の戦争ってそんなものじゃないんだよね。

私だって戦争は知りません。

でも、父や母から小さい頃から 「戦時中はね…」 と聞かされて育ってきました。

だから、実際経験した親からの話は 頭の中に入っているのですが、

今の三女の祖父母の年代は 50代60代でも前半と戦争が終わってからの若いおじいちゃん、おばあちゃんです。

これからこういう年代の人達の時代になっていくのに、どうやって戦争の悲惨さを伝えていけば良いでしょうか?

先日、授業参観がありました。061026_1447

国語の授業で『ちいちゃんのかげおくり』 をやるというのですが、

教室で先生が黒板を使ってやるのではなくて、

先生が依頼して、三女の学年で戦争を体験されたおじいちゃん・おばあちゃんのお話を聞くという授業でした。

おじいちゃん達は、ずっと地元に住んでいる方ばかりで 家がB29に爆撃されたりして、

焼けてしまい、学校に行きたかったと話しておられました。

親は体育館の後ろからの参観でしたが、小3の子達は 思ったよりも真剣に聞いて、メモを取っていました。

家に帰ってから三女

「○○君のおじいちゃんが、家が焼けてずっと歩いたって言ってたね」

と本当に 『ちいちゃんのかげおくり』 のような状況があったことを聞いて、興奮して話していました。

三女の音読する 『ちいちゃんのかげおくり』 は、毎日聞いていますが、

何度聞いても 胸がキュンとして、目の奥が熱くなってきます。

お父さん お母さん おにいちゃん ちいちゃん 4人分の声色をかえて、気持ちを込めて読んでくれます。

最後に

” 「なあんだ。 みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」

ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら、花畑の中を走り出しました。

夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が、空にきえました。” (作 あまん きみこ から引用)

このかぎカッコの部分を、ちいちゃんの声をまねして読んでくれます。

うちは6人家族ですが、このちいちゃんが三女とだぶってどうしてもこの場面に来ると 辛くなってしまいます。

でも、地震のような天災ではないけど もし、戦争が起こったら

こんな場面はどこにでもあることになってしまうでしょう。

この『ちいちゃんのかげおくり』は絵本にもなっているようです。

良かったらこれから子供さんを育てていく若いママパパ、現在育てている親さんも読んで欲しいし、

小学生なら理解が出来ると思います。

家族が笑って一緒にいると言う小さな幸せが、いつまでも続くように

是非、親子で一緒に読んで お話をしてみるのはいかがですか?

良かったら、戦争を知らない世代のために 三女の宿題で私の親に書いてもらった資料を次に公開しますね(^^)v

今、横で笑っている三女が 暗い夜に一人で防空壕の中ですごしている姿を想像するのも耐えられません。

親にとっての宝=子供が、いつまでも笑っていられるように 平和な世の中にしていきたいですね。

平和な日本でありますように! ポチッとお願いします!!

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『アンネの日記』

今日、youさんのブログで”あいのり”の事が書いて有りました。

アウシュビッツの事・・・

かなり昔にさかのぼるんだけど、私は本が好きな文学少女でした。

でも、読むものの大体が小説。

そんな私が ふっと手に取って読んだのが、Inu

『アンネの日記』 でした。

思春期のアンネが、戦争のため 何も悪い事はしてないのに虐殺を逃れるために 隠れ家で生活をします。

その中で感じた事や、一緒に隠れていた男の子との初恋。

それを日記にアンネが名前を付けて、友達に話しかけるように記していったものです。

こんな状況下でどうして? 明るく元気で頑張れたんだろう?

って普通にご飯も食べられて、外出も出来て、もちろん命の不安なんか無い生活をしているのに 色々な事に不満を感じていた自分は、

ガ~~ン!! と頭を殴られたようなショックを受けました。

それで、日記だけではなくて アンネの事について書かれた本を色々読みました。

映画も見ました。

”アンネの日記展”があれば、見に行きました。

遠い外国の話でしたが、すごく身近になっていました。

ある日、銀座のあるホールで(どこかまでは忘れた!) 

当時まだ存命だったアンネのお父さんの”オットー フランク氏” の

講演があると聞いて、抽選の葉書を送りました。

私の祈りが届いて、抽選に当り 無事講演に行く事が出来ました。

オットー氏は戦争が終わって生きて帰って来られた数少ないユダヤ人だそうです。 

でも、帰ってきたところで愛娘達も 妻も戻ってこなかったのです。

その繰り返してはならない戦争の悲惨さを 伝える事を生涯の仕事にしていろんな国を周っているとの事でした。

この時点でオットー氏は、90歳を越えていたと思います。

何年かしてニュースでお亡くなりになった事を報じていたのを覚えています。

この時、無謀な高校生だった私は、(多分高1位)

花束と手紙を書いて、講演の終わった後オットー氏の後に歩いていた女性に渡しました。

その女性はニッコリして 私からの手紙と花束を受け取ってくれました。

***

それからしばらくして、エアメールが届きました。

それは、アンネ達をかくまっていた ”ミープ ギース”さんからでした。

なんと私が手紙を渡したのは、ミープさん 本人だったのです!

私の手紙の内容は、丁度反抗期だった自分と比べて アンネは親とはどういう感じだったか?とか

どんな女の子だったのか? とかっていう内容だったと思いますが・・・

ミープさんからのお返事は、

『アンネはどこにでもいる普通の女の子でしたよ! お母さんに反抗的な態度をしては怒られていることもありました。・・・・・・・』

などなど、そして

『アンネもあなた達と同じように 学校に行ってみんなと笑ったり ファッションの事を話したり そういう青春を送りたかったでしょうね。

今度お手紙を書いてくれるときは、英語でお願いしますね』

と書いてありました(^^;)

自分の思いを書くには、まだまだ英語ではかけなくて・・・

その手紙も、読むのが精一杯でした。

こんな講演でまわっていたら、世界のたくさんの方からお手紙をいただく事でしょう。

日本のそれも日本語で書いた 女子高生の手紙をちゃんと読んで

お返事をくれるなんてと、ビックリして感動して 今でも忘れられない思い出です。

それが、先日 本や映像で見た事があるあのアウシュビッツが、娯楽番組で出てきたんです。

目が離せませんでした。

アンネはアウシュビッツではありませんでしたが、たくさんのユダヤ人がここで、亡くなったんだ

と日本人のガイドの方がガス室を案内していました。

私には、ここでひしめき合うユダヤ人の声が聞こえるようでした。

アンネ は、衛生状態の良くなかった収容所でチフスにかかって亡くなりました。 まだ死にたくなんて無かったでしょうね。 

とっても好奇心の強い 頭の良い女の子だったんですから、

未来を夢見て生きていたかったでしょうね。

ドイツ人のボランティアの若者達もこの罪を背負って、伝えて行きたいと言っていたように、

日本の若者もこの番組を見てもっと深刻に受け止めてくれたかな?

と思って、長女次女に聞きました。

長女 「繰り返したらいけないと思った。」

次女 「ひどいなと思った。」

あまりの悲惨な話や映像を見て、声を失っていました。

長女は私の勧めで読んだ『アンネの日記』は愛読書になっていたのに、実際ガス室をみて 心にズンとくるものはあったようです。

ただただ特集をやっても、あえて若者達が戦争物を見るかって言うと

楽しい物に流れていくように思えます。

短い時間ではありましたが、こういった番組で取り上げてもらえて もっと学校でも話し合う時間を持ってもらいたいなと思いました。

私がもらったミープさんからの手紙。

どこにいったんだろう? 子供達に見せてあげたいなと思うんだけど、

何回もの引越しで行方不明・・・

でも、それからもう20年以上たっているけど こんなに心に残っています。

私の夢。 アンネの住んでいた隠れ家も一般に公開されているとの事。

そこに行ってアンネを感じてみたい。

長女もいつか、アンネの生きて住んでいた街へ行きたいって言っています。母も連れて行ってね!!宜しく!

小さい子供が読めるものから、大人のものまで色々『アンネ』の本は出ています。もし読んだ事がない方は、 特に小さい子供さんがいるママさん

今から、これからを担う子供達に 戦争の悲惨さを伝えていって欲しいです。 

子供達自身の 将来のために!!

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