『ちいちゃんのかげおくり』 1 に続きます。
三女の宿題に、戦争を体験した人に項目にそって聞いてくると言うのがありました。
”1”でも書きましたが、三女の友達の親御さんはまだ若く それこそ三女の学年が1番上の子だと
その親さんの年代では戦争を体験しているおじいちゃん・おばあちゃん
が少ないようでしたが、
4人目にあたるうちの三女の祖父母(私の親)は、戦争の体験者でした。
一緒には住んでいないので、実家にファックスでお願い用紙を送り、項目に沿って書いて送ってもらいました。
戦争を体験してない年代の方たちに、実際体験した それもその当時三女と同年代だった私の父と母の事を
良かったら読んでくださいね^^
私の父は、東京の生まれです。
母は九州で高校まで育ちました。
それで、都会のネズミと田舎のネズミじゃあないけど(笑)
戦争の時は、東京と九州だったので 書いてもらったレポートも その都会と田舎の違いが出て、とても面白かったです^^
まず父の戦争中の東京の子から見た様子です。
〈戦争の頃の年齢〉
・8才(小2)~12才(小6)
小学校は、戦争中 ”国民学校”と名前が変わっていました。
〈遊び〉
・けん玉、めんこ、こま回し、ベーゴマ、竹馬(自分で作る)、缶けり、缶下駄(缶に穴を開けて紐をつけて)、押しくらまんじゅう、トンボ&虫取り、野鳥取り(餅のりのついた棒で)、魚釣り、ザリガニとり(戦時中は食べてました)
〈食べ物〉
・芋粥、サツマイモのつる、里芋の茎、野草、麦粥、すいとん、かぼちゃとつる、ジャガイモの皮も何でも食べたよ。 小麦の皮も。
今じゃ馬も食べない物まで。魚でスケソウダラとか。まだまだ一杯あるけど、今では人間が食べない物まで 食べてました。
おやつに大豆の煎ったのを5粒とか…
〈服装〉
・頭…坊主がり
体…着る物が少なくて 「衣料切符」 が配られ、自由に買えなかった。 夏は、今と変わらないが 冬は、充分着るものが買えないので、つぎはぎだらけの衣服でも、みんな着ていました。
足…主に運動靴と下駄やわらで作ったわらじ(わらぞうり)、革靴は買えませんでした。
〈空襲の時の町や人の様子〉
・家にいる時は、すぐに防空壕に入りました。 何時間でも空襲警報が解除されるまで、入ってなくてはなりませんでした。
町中で空襲警報が鳴ると近くの防空壕へ急ぎます。 外には警官や兵隊しかいません。
近くへ爆弾や焼い弾が落ちると、すごい地響きや音がしました。 とても怖かったです。
町中は車も何も動かなくなり、時間が止まったようです。
ここには、書いてありませんが父達は空襲のひどかった時には 疎開をしたそうです。
親や兄弟と離れて、そこでも地元の子達とかにいじめられたと聞いています。
まだまだ小さい子供達にとって どれだけ精神的にも辛かったか?
尋常じゃない生活を送った時代だったんですね。
次は、母の九州の戦争体験です。
〈戦争の頃の年齢〉
・終戦時 10才 (小5)
〈遊び〉
・お手玉、ケンパ、虫取り、かくれんぼ など
でも、いつも弟や妹の子守で遊べませんでした。
〈食べ物〉
・私(母)は、田舎だったからお肉以外はあったけど、カボチャとかサツマイモが多かった。
ご飯は、麦ご飯が多くて 白いご飯はめったになかったよ。
梅干まで、配給制度でした。
〈服装〉
・頭…おかっぱ
服…シャツブラウスや着物(カスリ)、モンペ(上と下にゴムが入っている)
足…運動靴やぞうり
防空頭巾を方からかけて学校へ行ってました。 何にでも、地区名と名前を縫い付けてありました。
〈空襲の時の町や人の様子〉
・自宅の庭に大きな住めるような穴 (防空壕) を掘って、警戒警報~空襲のサイレンがなると逃げていました。
煮炊き出来るようにしてありました。
近くに爆弾が落ちた時は、戸が倒れたりして 人も亡くなりました。
私は、佐賀ですが 長崎の原爆が落ちた時の音と空が目に焼きついて離れません。 防空壕の前から見えました。
その時の様子は、警戒警報のサイレンが鳴ったので入ろうとしたら、一瞬真っ暗になり、その後で黒い雲が東(家のほうから見て)の方にすごいうなり音 ゴ~~~~と流れていくのを見ました。
その時は、何だかわからなかったけど 後で原子爆弾だとわかりました。
大きくなって長崎へ行ったら、石段に人の形の黒い影が残っていました。
母は、8人姉妹兄弟がいます。 みんなの食料として配給のあった”梅干”をもらってくる途中に 転んで落としてしまい 砂のついた”梅干” を拾って、泣きながら砂を払ったそうです。 それを持って帰らないと食べるものが、減ってしまうからだと 聞きました。
よくわからないところもあるかと思いますが、父と母が書いてきたそのままを載せました。
三女の宿題ながら、私も送ってもらったファックスに見入ってしまいました。
三女のクラスでも先生が、資料として使ってくれたようです。
父と母が一生懸命書いてくれたものが、娘の教材として役に立って嬉しかったです^^
こんな生活なんて、テレビの中だけだと思っているけど
もし戦争になったら、芋のつるなんて食べられますか?
今の子達が ゲームがない生活が出来るでしょうか?
この時代よりもっと便利になりすぎている今、きっとこの時代以上に辛いものがあるでしょうね。
三女が 『ちいちゃんのかげおくり』 を読んで、仲良しの Hちゃんと2人で
晴れた日に ”かげおくり”をしたそうです。
「ちゃんと”かげおくり” できたよ~」
と教えてくれました。
いつまでも平和で笑って ”かげおくり” が出来る世の中であって欲しいですね。
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