奨学金ゲットです~~♪^^

とうとう夏休みに突入!!

と言っても三女長男だけ…

長女はまだ学校も有るし、8月中には施設実習もあってほとんど休みなしbearing

次女も来週一杯は学校もあり、三者懇もこれからcoldsweats01

子供の事って良い事も辛い事も色々あるけど、

ちょっと良い事もあったのでご報告heart04

まだ学校にいる次女に数日前に電話をしたんですが、その時に

「お母さんsign01奨学金取れたよ~~happy01

という喜びの報告をもらいましたshine

かなり厳しいって言われて諦めかけていたので超嬉しいnotes

次女は自宅を離れて大阪の専門学校に行く予定です。

1年と言えども友達とアパートを借りて生活をするつもりのようですが、料理系の専門学校は学費もとても高く普通なら2年でかかる金額を1年で支払いますsadsweat01

なのでその上にかかる生活費は自分でバイトで支払うとはいってたけど、今回高校に申請していた奨学金がもらえたらかなり楽…

でもこの奨学金は無利子のもので申請者も多く、

「無理かも~sweat01

って次女も言ってたので、あまり宛にはしてませんでした。

先生も母子家庭とかだと他の奨学金もあるということで

「お家の方はお元気よね~?happy01

と言われたくらいかなり厳しいのは分かっていましたcoldsweats02

一応長女も取得しているので次女も取ってくれたら助かりますwink

ただし成績も良いほうの人からだし、条件も選抜の対象になりますsign01

運を天に任せるしかなかったのですが、

校内で3人の取得者に入ることが出来ましたshine

これで次女もまた夢を追うことへの障害が少し少なくなったかな?って思います。

当にまだまだこれからだけど、小さい頃から自分でこれ!って決めたらやり通す次女だから壁にもぶち当たるかもしれないし、泣きたくなる事もあるかも知れないけど、

どんな格好でも良いから乗り越えて、次女の夢を追う姿を見せてちょうだいねnote

本当に良かったねconfident

おめでとうshine

| | コメント (9)

三女のタイピング入門

パソコンの文字を打つのもそれなりの練習が必要ですよねhappy01

長女は1本指で器用にキーボードを打ちます。

次女は小学校の時にパソコンクラブの部長さんをやっていただけあって、両手でタイピングが出来るし、検定も受けているくらいで、ネットの仕事をしている私よりよっぽど早いsign03coldsweats01

長男も知らない間に出来るようになってるし、今の子って小学校でもパソコンに触れているから両手でじゃなくっても出来るようになるんだよね~~

という私はもちろん学生時代にパソコンなんてまだそう無い時代だしcoldsweats01sweat01

たまたま英文科に行って、英文タイプで検定とかを受けさせられてたのもあったので、

就職後も英語でタイプを打ったりしてたからきっと同年代の人よりは接する機会も多かったので、いざパソコンsign01となっても、キーボードだけは苦労なく打つ事も出来ましたconfident

288

そして最近、急に三女がパソコンのキーボードを自分で打っているのを見てビックリsign03

何たっていつまでも末っ子なもんで赤ちゃんだと思ってる部分があるんですよねcoldsweats01

「いつから打てるようになったの?」

「学校でもやってるし表見てやれるようになった~」

「そうだったんだ…」

親の知らない間にって感じで成長を感じた瞬間でしたshine

その後も次女に頼んでタイピング入門のサイトを教えてもらって、練習したり、それも物足りなくなって

「もう少し難しいのが良い~」

なんて生意気を言っていましたcoldsweats01

でも、ちょっと教えただけでちゃんと定位置に指を置いてやれるようになるなんて、やっぱり今の子ってそういう時代に生きてるんだな~って実感しましたclover

290 

こちらは学校の学習で”韓国のお料理”を調べている所ですpc

色んな機能も覚えちゃってパチパチ上手にタイピングしちゃって、なんかおいて行かれそうだわsweat01

体だけじゃなくってちゃんと中も成長してるんだな~って思いましたshine

三女の成長が楽しみな母ですheart02

| | コメント (6)

保育実習☆長女

長女は昨日から保育園へ実習へ行っておりますsign03

そこは長男が出た保育園carouselpony

長男が通っていた時は良い先生だな~って思ってたんだけど、実習となるとかなり厳しい感じらしいshock

でもそれも勉強だよね~~

203 こんなエプロンを3枚胸に名前を貼って、とっかえひっかえ持って行きます。

真ん中にかけてあるのは、実習の最後に園児に配るプレゼントです。

実習の前にと2クラス分の園児分(60人分)作りました。

それがこちら
  down

204_2

毎日テレビを見ながらせっせと作っていましたdiamond

「喜んでくれるかな~?」

なんて考えながらねnote

毎日スッピンにジャージsmile

いっつもお化粧してビシッと決めていく姿とは全く違うけど、

それなりに頑張っているらしい…

今週は0・1・2歳児を担当chick

来週は4歳児だそう。

2週間の実習期間です。

今担当している2歳児は、ただただ可愛いらしいけど、グーパンチとかも平気でやってくるそうcoldsweats01

長女の事だからきっと悪い事は悪いsign01って言っちゃうんだろうな~

おしりも大の時は、タオルをぬるま湯で温めて拭いて上げるそうなんだけど、昨日はまだやらせてもらえなかったらしいです。

長女は、三女を育てたのでトイレの世話から、離乳食、お風呂まで汚いとか大変と思ったことがないとの事。

それは親の私から見ても偉いsign03って思うんですよね~

ただ、そんな事はどうにでもなるんだけど克服するのが大変なのが…

給食&おやつです。

長女は、本来好き嫌いのない子なんですが、トマト系のアレルギーで食べると舌が腫れて痛くなって体が火照ってきます。

それと、あんこや黄な粉はどうも食べられないそうですcoldsweats01

別に普通の生活の中であんこや黄な粉は食べなくても支障がないのですが、

この保育園は、おやつも給食も手作りで園児に提供しています。

そうするとそんなものも出て来る訳で…

今日の 給食&おやつ はダブルパンチだったそうなんですbombbomb

それで食べた後から頭痛がしたらしく、帰って来るなり寝てしまいましたsleepy

昨日も夜1時近くまで実習日記を書いていました。

今日も書かないといけませんbearing

今は長女は来年の就職をどうするか悩んでいます。

普通に保育園や幼稚園にはいかないかもしれないそうです。

色々な体験をしてじっくり考えて欲しいですねhappy01

もうすぐに私から巣立っていこうとしている長女

世間の波は荒いよ~~

その波に負けないものを身につけて、笑顔で過ごせるようにnote

今は修行の時だよ~~good

ガンバレ~~shineshine

| | コメント (6)

『ちいちゃんのかげおくり』 2

『ちいちゃんのかげおくり』  に続きます。

三女の宿題に、戦争を体験した人に項目にそって聞いてくると言うのがありました。

”1”でも書きましたが、三女の友達の親御さんはまだ若く それこそ三女の学年が1番上の子だと

その親さんの年代では戦争を体験しているおじいちゃん・おばあちゃん

が少ないようでしたが、

4人目にあたるうちの三女の祖父母(私の親)は、戦争の体験者でした。

一緒には住んでいないので、実家にファックスでお願い用紙を送り、項目に沿って書いて送ってもらいました。

戦争を体験してない年代の方たちに、実際体験した それもその当時三女と同年代だった私の父と母の事を

良かったら読んでくださいね^^

私の父は、東京の生まれです。

母は九州で高校まで育ちました。

それで、都会のネズミと田舎のネズミじゃあないけど(笑) 

戦争の時は、東京と九州だったので 書いてもらったレポートも その都会と田舎の違いが出て、とても面白かったです^^

まず父の戦争中の東京の子から見た様子です。

〈戦争の頃の年齢〉

 ・8才(小2)~12才(小6)
  小学校は、戦争中 ”国民学校”と名前が変わっていました。

〈遊び〉

 ・けん玉、めんこ、こま回し、ベーゴマ、竹馬(自分で作る)、缶けり、缶下駄(缶に穴を開けて紐をつけて)、押しくらまんじゅう、トンボ&虫取り、野鳥取り(餅のりのついた棒で)、魚釣り、ザリガニとり(戦時中は食べてました)

〈食べ物〉

 ・芋粥、サツマイモのつる、里芋の茎、野草、麦粥、すいとん、かぼちゃとつる、ジャガイモの皮も何でも食べたよ。 小麦の皮も。

  今じゃ馬も食べない物まで。魚でスケソウダラとか。まだまだ一杯あるけど、今では人間が食べない物まで 食べてました。

  おやつに大豆の煎ったのを5粒とか…

服装〉

 ・頭…坊主がり

  体…着る物が少なくて 「衣料切符」 が配られ、自由に買えなかった。 夏は、今と変わらないが 冬は、充分着るものが買えないので、つぎはぎだらけの衣服でも、みんな着ていました。

  足…主に運動靴と下駄やわらで作ったわらじ(わらぞうり)、革靴は買えませんでした。

〈空襲の時の町や人の様子〉

 ・家にいる時は、すぐに防空壕に入りました。 何時間でも空襲警報が解除されるまで、入ってなくてはなりませんでした。 
  町中で空襲警報が鳴ると近くの防空壕へ急ぎます。 外には警官や兵隊しかいません。
   近くへ爆弾や焼い弾が落ちると、すごい地響きや音がしました。 とても怖かったです。
   町中は車も何も動かなくなり、時間が止まったようです。

ここには、書いてありませんが父達は空襲のひどかった時には 疎開をしたそうです。

親や兄弟と離れて、そこでも地元の子達とかにいじめられたと聞いています。

まだまだ小さい子供達にとって どれだけ精神的にも辛かったか?

尋常じゃない生活を送った時代だったんですね。



次は、母の九州の戦争体験です。

〈戦争の頃の年齢〉

 ・終戦時 10才 (小5)

〈遊び〉

 ・お手玉、ケンパ、虫取り、かくれんぼ など
  でも、いつも弟や妹の子守で遊べませんでした。

〈食べ物〉

 ・私(母)は、田舎だったからお肉以外はあったけど、カボチャとかサツマイモが多かった。
  ご飯は、麦ご飯が多くて 白いご飯はめったになかったよ。
  梅干まで、配給制度でした。

〈服装〉

 ・頭…おかっぱ

  服…シャツブラウスや着物(カスリ)、モンペ(上と下にゴムが入っている)

  足…運動靴やぞうり

  防空頭巾を方からかけて学校へ行ってました。 何にでも、地区名と名前を縫い付けてありました。

  〈空襲の時の町や人の様子〉

 ・自宅の庭に大きな住めるような穴 (防空壕) を掘って、警戒警報~空襲のサイレンがなると逃げていました。
  煮炊き出来るようにしてありました。
  近くに爆弾が落ちた時は、戸が倒れたりして 人も亡くなりました。
  私は、佐賀ですが 長崎の原爆が落ちた時の音と空が目に焼きついて離れません。 防空壕の前から見えました。
  その時の様子は、警戒警報のサイレンが鳴ったので入ろうとしたら、一瞬真っ暗になり、その後で黒い雲が東(家のほうから見て)の方にすごいうなり音 ゴ~~~~と流れていくのを見ました。
  その時は、何だかわからなかったけど 後で原子爆弾だとわかりました。
  大きくなって長崎へ行ったら、石段に人の形の黒い影が残っていました。

母は、8人姉妹兄弟がいます。 みんなの食料として配給のあった”梅干”をもらってくる途中に 転んで落としてしまい 砂のついた”梅干” を拾って、泣きながら砂を払ったそうです。 それを持って帰らないと食べるものが、減ってしまうからだと 聞きました。


よくわからないところもあるかと思いますが、父と母が書いてきたそのままを載せました。

三女の宿題ながら、私も送ってもらったファックスに見入ってしまいました。

三女のクラスでも先生が、資料として使ってくれたようです。

父と母が一生懸命書いてくれたものが、娘の教材として役に立って嬉しかったです^^

こんな生活なんて、テレビの中だけだと思っているけど

もし戦争になったら、芋のつるなんて食べられますか?

今の子達が ゲームがない生活が出来るでしょうか?

この時代よりもっと便利になりすぎている今、きっとこの時代以上に辛いものがあるでしょうね。

三女が 『ちいちゃんのかげおくり』 を読んで、仲良しの Hちゃんと2人で

晴れた日に ”かげおくり”をしたそうです。

「ちゃんと”かげおくり” できたよ~」

と教えてくれました。

いつまでも平和で笑って ”かげおくり” が出来る世の中であって欲しいですね。
未来の平和な世の中にポチッとお願いします!!^^

    ↓                     ↓

FCブログランキング         人気blogランキングB_02_74 Banner_04_73

 

  

| | コメント (12) | トラックバック (1)